“Estoy casada”
「私、結婚してるの」
今を去ること11年前。
出張先で偶然出会った異国の女性に優しくされて、つい淡い期待をしていたぼくの幻想は、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
ラティーナが結婚しているという事実に動揺しながらも、顔には出すまいと平静を装っていたぼくに、中学以来、ぼくの心の中に住みついているネガティブ思考は、容赦なく追い打ちをかけた。
「優、だから言ったろ。君は黙っていても女性から言い寄られるタイプじゃないんだって。」
「まったく、同じことを何回繰り返させるんだ?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
少し時間を巻き戻すと、ぼくはこの日、今回の国際展示会に出展した主要企業幹部によるパネル・ディスカッションに参加する上司の世話役として、会場内で待機していた。
ぼくが会社幹部の席の近くに立っていると、誰かがぼくの背中に手を置いた気がした。
後ろを振り返ると、そこには、前日、一時行方知れずになっていたぼくの上司の課長探しを親身になって手助けしてくれたラティーナが立っていた。
ラティーナ:“¡Hola, You! ¿Qué haces aquí?”
「こんにちは、You。ここで何してるの?」
ぼく:“¡Hola, Latina! Pues, digamos que estoy de niñera cuidando a bebés grandes con canas"
「おお、ラティーナ。まあ、白髪混じりの大きな赤ちゃんのお守役といったところかな。」
ラティーナ:“Jajaja. Yo también me siento así desde que empezamos con los preparativos de este evento”
「笑。わたしも同じような気持ちになる。このイベントの準備が始まってからずっとよ。」
ラティーナ:“¿No te cansas de estar parado todo el tiempo?”
「ずっと立ってて疲れない?」
ラティーナ:"¿No quieres sentarte por allá donde hay asientos desocupados?”
「あっちに空いてる席があるから、座ったらどう?」
ぼくは、ラティーナが勧めてくれたとおり、幹部の姿が視界に入る場所の空席に移動した。
するとなぜか、ぼくの後からラティーナが付いてきて、ぼくのすぐ横の席に腰掛けた。
ぼくの心はうれしくて弾んでいた。
ラティーナ:“¿Cuántos años tenías, You?
「あれ、Youは、何歳だっけ?」
ぼく:“Tengo veinticuatro (24)”
「24だよ。君は?」
ラティーナ:“Yo tengo veinticinco (25)”
「わたしは25。」
ぼく:“Así que tú eres la hermana mayor"
「じゃあ、君がお姉さんだね。」
ラティーナ:“No sé si sea por tu corte. Pero te ves más chico”
「髪型のせいかもしれないけど、Youは、本当の年よりもっと若く見えるね。」
ぼくは心の中で、
「その言いぶりだと、子どもっぽいっていうことかな。」
とか変に考えてしまった。
退屈なパネル・ディスカッションの間、ぼくとラティーナは、兄弟が何人いるとか、昨日のように身の上話をした。
たまに、パネル・ディスカッション参加者が使う言葉で、ぼくが知らないスペイン語の意味を教えてもらったりもしながら時間が過ぎて行った。
ぼく:“¿Qué significa ‘intangible’? Me suena pero no me acuerdo de su significado."
「’intangible'ってどういう意味?聞いたことはあるけど、意味は忘れちゃった。」
ラティーナ:“Algo que se puede tocar o sentir”
「触ったり感じたりすることができる」っていう意味よ。
ラティーナは話題を変えた。
ラティーナ:“¿Con quién vives?”
「誰と住んでるの?」
ぼく:“Con nadie”
「誰とも住んでないよ」
ラティーナ:“¿Vives solo?
「一人暮らしなの?」
ぼく:“Sí”
「うん。」
この国では、結婚前の若者が親元を離れて一人暮らししているのは珍しいみたいだ。
ラティーナ:“¿Y tu familia?
「あなたの家族は?」
ぼく:“Viven lejos de donde vivo”
「ぼくが住んでいる所からは遠いところに住んでるよ」
ぼくは、続けてラティーナに日本の事情を説明した。
ぼく:"Yo salí de mi casa a los 18 años para ir a la universidad”
「ぼくは大学に行くために、18で親元を離れたんだ」
ぼく:"Es algo común en mi país y no nos ponemos sensibles por estar lejos de familia"
「でも日本じゃ全然珍しい話じゃないし、家族と離れているからっていちいち感傷的になったりはしないよ」
ぼく:“Además, mi familia es como ‘cada uno por su lado’”
「それに、ぼくの家族は、それぞれが好きなことをやっている感じだし」
ぼく:"No es que nos llevemos mal. No. Sino al contrario. Pero cada uno tiene sus intereses"
「別に仲が悪いわけじゃなくて、むしろ良いと思う。でも、それぞれやりたいことが違うからね」
今度はぼくが、同じ質問をラティーナにした。
ぼく:“¿Y tú? Con quién vives? ¿Con tu familia?”
「君は誰と住んでるの?家族?」
ラティーナ:“Yo vivo con mi esposo… Bueno, ya él es mi familia. Vivimos cerca de mi trabajo”
「わたしはダンナと住んでる。今となっては、彼がわたしの家族ね。家はわたしの職場の近く。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぼくは、ラティーナの左手にそっと視線を移した。
すると、ラティーナの左手には、それらしき指輪があった。
なんで今まで気づかなかったんだろう。
浮かれる前に指輪見ておけばよかった。
そしたら、変な期待なんてせずに済んだのに。
ラティーナが結婚していると知ったあとの記憶はあまりない。
ショックを受けているのを悟られないように、笑顔で心の中の波風を押し殺そうとしていたこと以外は。
ぼくの中のネガティブ思考が、また、「それ見たことか」と言わんばかりにほくそ笑んでいる。
ラティーナは、ぼくより一つ年上。
まだ、20代半ばだから、この国の大卒女性としては、早く結婚した方だと思う。
年齢的には、独身であっても全然おかしくない。
そんなときラティーナは、ぼくが首から下げていた展示会出席者用IDの裏ポケットにガムをしまっているのを見つけた。
ラティーナ:“¿Por qué tienes chicle ahí?
「なんでそんなところにガム入れてるの?」
ラティーナ:“¿Me das uno? Es que acabo de fumar"
「一つくれる?タバコ吸ったばっかりなんだ。」
ラティーナは笑いながらそう言った。
「なんて、可愛い女性なんだろう」
「でも、人妻なんだよな・・・」
ぼくは、心の中でそうつぶやいていた。
ぼくは、パネル・ディスカッションを終えた会社幹部に付き添うため、ラティーナと別れた。
「ラティーナとまた時間を共にできた」という喜びと、「誰かの奥さんである」ということを思いがけず知ってしまった苦味が、ぼくの中で混ざり合って、胸焼けのような感覚を覚えたまま、その日の任務を終えた。
Continuará…
(次回へつづく)
ラティーナに恋をした日本人トロバドール 〜ラティーナに捧げる愛の詩〜
ネイティブのようにスペイン語を操る日本人、早川優。 しかし彼は、ラテンのノリとは無縁の内向的な文学少年だった。 そんな内気な文学少年が、出張先で出逢ったラティーナ(中南米某国の女性)との恋を通じて、日本人でありながら、スペイン語で愛の詩(うた)を捧げるトロバドール(吟遊詩人)へと成長を遂げるストーリー。
0コメント